合掌。

2002年1月20日
先程友人から電話があり、友人の祖父が亡くなられたそうです。
とても元気な方で、その悲報を聞いた瞬間胸がつまりました。

もう5年前にもなるでしょうか。
友人と共に、その友人の祖父の家まで遊びに行ったことがあります。
その時に大変お世話になり、それから年賀状での付き合いがありました。
まだ身内の死を経験していない為、死の意味をよく理解していません。
こうして1人の方がなくなられたことを思うとひどくやるせない思いにとらわれます。

1人の人が亡くなるということが、これほど厳かなもののはずなのに
人身事故や自殺、戦争での殺戮は続く。
このようなことは一体どうしておこるのだろうか。
この矛盾に真っ向から向かっていきたいと思います。
こうして、今幸せな立場ある人間が頑張らなくてどうするんだ。
考えられる人間が考えなくてどうするんだ。

少し心が引き締まったような感じがします。


ところで小泉総理は「痛みの伴う改革」を宣言し、日進月歩しています。
失業率は増え、なんとか定職にありつこうと公務員を目指すものが多くいます。

公務員。国または地方公共団体の職務を担当し、国民全体に奉仕する者。
そう定義されています。
果たして、幾人のものがこの定義に当てはまるものなのでしょうか。
自分の身の安定のためだけ、もしくは他に目標、目指すものがなくてなるという人もいると思うと、とても遺憾に思います。

確かにそういう一つの道もありますが、公務員が定職と言うことの理由が欠如しているように感じます。
公務員が定職なのは、国民全体に奉仕するという役柄上、様々な国民のニーズにこたえるべき役職だからです。

国民の様々な生活上の不満、不安。
よりよい生活環境を築いていくために存在する職業です。
しかし、時代とともに社会は激変し、ニーズもより複雑化し、対応に追われることでしょう。

公務員は、常に社会に目をむけ、国民に耳をむけ、日々の努力をしていかなければならないと思います。
そして、そこから得た情報を整理し、実現するために考えなければならない。そのためには、情報収集、情報整理、ニーズの抽出、対応すべきニーズの選択、実行方法の思考・・・などと、様々に考えるべきことがあります。
このように考えていくには、やはり時間が必要だと思われます。

そういう時間を作り出すために失業しないのではないでしょうか。身の安定を保障するのは、身の不安定な人、もの、ことなどを取り扱うからだと思うのです。
自分の身のことを省みず、何かに対して没頭できるための身の安定の保障だと思うのです。

身の安定の為に公務員になりたいと思う自分に自戒。

ちょっと堅い意見だけど。
更に仕事はあまり熱意を持たずに気楽にやるのがいいって聞きます。どうなんだろうね。

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