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明けましておめでとうございます。
2002年1月9日間が空いてます。でも気にしないで下さい。
書きたくて書きたくて仕方ないときに書きますので。
最近、バッティングセンターに通い始めた。
昔、野球の選手になりたいと思っていた(当時の僕らの年代はほとんどそうだった気もするが)くらいには野球が好きだ。
ただ、子供の頃からソフトボールで慣らされていたため、軟式や硬式が怖かった。
更に、昔はバッティングセンターには「死球にはご注意ください」などと書かれていて
「まじかよ!」
と、軟式&硬式ボール慣れしていない僕はとても怖く、バッティングセンターに行くことはなかった。
この年になり、淡い夢も抱かなくなり、ほんの興味でバッティングセンターへ足を踏み入れるとちっちゃい子供も多くいたためか、恐怖を抱かなかった。
・・・バッティングセンターが面白い、と感じた瞬間である。
そうだ。そもそも、Mr.chidrenの「光の射すほうへ」で、「ひとりきり情熱を振り回すバッティングセンター」という歌詞が出てきたときから行きたいと思っていた。それもあるか。
それで。つくづく感じたのは、体力が落ちたなぁ、ということであります。
小学校の頃、僕はすごい太っていました。
特に小学校3年か4年の頃は、145cm,45kgという身体で、人より一回り大きかったのを覚えています。
中学校になって硬式テニス部に入って、毎日くそまじめに練習していました。
もともと身体を動かすのが好きだったし、兄がテニスをやっていて教わるのが楽しみだったし、仲のいい友達に誘われて入ったので友人関係でも上手くいってたし、そして何よりそこの部長(女)が超かっこよくて、本当に憧れの的でした。
僕の兄は3つ上で、中学校で言えば僕の大先輩にあたるわけで。なんかその部長さんが僕の兄を憧れの先輩として見てたらしく。あの時は「うわーまじかよ」と思いましたねー(笑)
でも、やっぱり憧れの先輩には変わりなく。地道にこつこつと基礎トレーニングからやってました。2、3年になったら、普通はトレーニングよりも球を打つ
事のほうをしたがるんですけど、僕は人の1.5倍くらい練習して、常にみんなより上にいようとしました。
そういうのが大好きなんです。こつこつ努力して、上に立つっていうのが。嫌みかな(苦笑)でもその努力のおかげで、体育祭とかでも、バスケ部とかと張り合える位の体力はありました。中学校の時は、どっちかというと、体育会系の人に近かった感じがします。
高校では学芸系に属していて、あまり運動をせず、大学に入って更に運動をしなくなったので、体力が落ちていることをすごく感じました。中学校の頃は、毎日最低3kmは走っていたのに、高校に入ってから忙しさにかまけて寝てばかり。ちょっとここいらで一念発起しようかと思っています。
僕はどちらかというと、完璧主義で。やるならとことんやりたい人。もし高校で運動系に入っていたら、自分の肉体の限界に挑戦していたと思う。
だけど、高校でぷっつりと切れてから、全く正反対の道へ行った。
いつも人を驚かせたいと思ってる。地道な努力をしているのも、すごい、の一言のため。人並みでいることを許さないプライド、みたいな。無理ならやらない、くらいの頑固者。
すごい極端なんだよね。我ながら。ちょっと最近は丸くなってきて、ぷっつりと切れたらまたそこから始めればいいじゃん、って思ってきた。だって、切れたらおしまい、だったら、何事につけてもチャンスは一度しかなくなっちゃう。
誰だって挫折はあるし、何も出来ないとき、辛いときがある。そうして途切れたときに、じゃぁいいや、って諦めるのもどうよ、って最近思い出した。放り投げるのは簡単なんだ。
頑張って続けていたことが途切れてしまい、放り投げるのは、現実を知って諦めることかもしれない。夢を諦めて、現実を直視することかもしれない。それはそれで大人なんだ。だけど。夢を捨てていくことで、現実を知って、大人なる。それもどうなんだ、と思った。
夢を追い続ける大人がいてもいいんじゃないか。
僕は、何事につけて、トップや突出を目指した。
それを僕の個性、人前で僕を表現する自己主張にしたかったのだ。自分というものを背伸びして、どこかのカテゴリーに当てはめたかった、といえば適切かもしれない。
まだこの年なら可能性はある。このまま努力し続ければ、成功できるはずだ。そう思ってきた。ただ、年をとり、だんだん様々なしがらみでその努力が途切れたとき、僕は自分の築いてきたものを放り投げた。
でも。今その放り投げたものが愛しく、また今度は自分なりにそれと付き合っていきたいと思った。例えば、今、地元のテニスクラブに入ろうかと画策中。
どこか高いところに基準を置いて、それに向かって猪突猛進もかまわない。しかし、それがくじけたとき。その勢いが失速したとき。人は少なからずの絶望感、いわゆる挫折を味わうに違いない。それは、立ち直るためには相当の力がいると思う。
あるべき自分に取り付かれ、現実の自分を浪費している。現実の自分を無視する。現実の自分を罵倒する。現実の自分に嫌になる。・・・弊害ばかりがあげられる。
僕らに必要なのは、今の自分を受け入れる勇気だ。
やはり人目が気になる社会なんだと思う。成功者が大きく取り上げられる、弱肉強食の世界。強者になろうとする中間層の苦悩が計り知れない。いくら自分を鼓舞して上へ上へもっていっても、それが崩れたときを考えると、それはまるでバブルのような考え方だと思わざるを得ない。
地に足のついた生き方、つまり、自分が好きなことをやる生き方をしたい。しばらくは興味本位で色々物事に接していき、学びたいことを学び、知りたいことを知りたい。
世の中のしがらみに縛られないように、いつも様々な視点からいろいろなことを考えて、楽しい人生を送りたいと思いました。
・・・うーん。あまりにも長い(^^;)
書きたくて書きたくて仕方ないときに書きますので。
最近、バッティングセンターに通い始めた。
昔、野球の選手になりたいと思っていた(当時の僕らの年代はほとんどそうだった気もするが)くらいには野球が好きだ。
ただ、子供の頃からソフトボールで慣らされていたため、軟式や硬式が怖かった。
更に、昔はバッティングセンターには「死球にはご注意ください」などと書かれていて
「まじかよ!」
と、軟式&硬式ボール慣れしていない僕はとても怖く、バッティングセンターに行くことはなかった。
この年になり、淡い夢も抱かなくなり、ほんの興味でバッティングセンターへ足を踏み入れるとちっちゃい子供も多くいたためか、恐怖を抱かなかった。
・・・バッティングセンターが面白い、と感じた瞬間である。
そうだ。そもそも、Mr.chidrenの「光の射すほうへ」で、「ひとりきり情熱を振り回すバッティングセンター」という歌詞が出てきたときから行きたいと思っていた。それもあるか。
それで。つくづく感じたのは、体力が落ちたなぁ、ということであります。
小学校の頃、僕はすごい太っていました。
特に小学校3年か4年の頃は、145cm,45kgという身体で、人より一回り大きかったのを覚えています。
中学校になって硬式テニス部に入って、毎日くそまじめに練習していました。
もともと身体を動かすのが好きだったし、兄がテニスをやっていて教わるのが楽しみだったし、仲のいい友達に誘われて入ったので友人関係でも上手くいってたし、そして何よりそこの部長(女)が超かっこよくて、本当に憧れの的でした。
僕の兄は3つ上で、中学校で言えば僕の大先輩にあたるわけで。なんかその部長さんが僕の兄を憧れの先輩として見てたらしく。あの時は「うわーまじかよ」と思いましたねー(笑)
でも、やっぱり憧れの先輩には変わりなく。地道にこつこつと基礎トレーニングからやってました。2、3年になったら、普通はトレーニングよりも球を打つ
事のほうをしたがるんですけど、僕は人の1.5倍くらい練習して、常にみんなより上にいようとしました。
そういうのが大好きなんです。こつこつ努力して、上に立つっていうのが。嫌みかな(苦笑)でもその努力のおかげで、体育祭とかでも、バスケ部とかと張り合える位の体力はありました。中学校の時は、どっちかというと、体育会系の人に近かった感じがします。
高校では学芸系に属していて、あまり運動をせず、大学に入って更に運動をしなくなったので、体力が落ちていることをすごく感じました。中学校の頃は、毎日最低3kmは走っていたのに、高校に入ってから忙しさにかまけて寝てばかり。ちょっとここいらで一念発起しようかと思っています。
僕はどちらかというと、完璧主義で。やるならとことんやりたい人。もし高校で運動系に入っていたら、自分の肉体の限界に挑戦していたと思う。
だけど、高校でぷっつりと切れてから、全く正反対の道へ行った。
いつも人を驚かせたいと思ってる。地道な努力をしているのも、すごい、の一言のため。人並みでいることを許さないプライド、みたいな。無理ならやらない、くらいの頑固者。
すごい極端なんだよね。我ながら。ちょっと最近は丸くなってきて、ぷっつりと切れたらまたそこから始めればいいじゃん、って思ってきた。だって、切れたらおしまい、だったら、何事につけてもチャンスは一度しかなくなっちゃう。
誰だって挫折はあるし、何も出来ないとき、辛いときがある。そうして途切れたときに、じゃぁいいや、って諦めるのもどうよ、って最近思い出した。放り投げるのは簡単なんだ。
頑張って続けていたことが途切れてしまい、放り投げるのは、現実を知って諦めることかもしれない。夢を諦めて、現実を直視することかもしれない。それはそれで大人なんだ。だけど。夢を捨てていくことで、現実を知って、大人なる。それもどうなんだ、と思った。
夢を追い続ける大人がいてもいいんじゃないか。
僕は、何事につけて、トップや突出を目指した。
それを僕の個性、人前で僕を表現する自己主張にしたかったのだ。自分というものを背伸びして、どこかのカテゴリーに当てはめたかった、といえば適切かもしれない。
まだこの年なら可能性はある。このまま努力し続ければ、成功できるはずだ。そう思ってきた。ただ、年をとり、だんだん様々なしがらみでその努力が途切れたとき、僕は自分の築いてきたものを放り投げた。
でも。今その放り投げたものが愛しく、また今度は自分なりにそれと付き合っていきたいと思った。例えば、今、地元のテニスクラブに入ろうかと画策中。
どこか高いところに基準を置いて、それに向かって猪突猛進もかまわない。しかし、それがくじけたとき。その勢いが失速したとき。人は少なからずの絶望感、いわゆる挫折を味わうに違いない。それは、立ち直るためには相当の力がいると思う。
あるべき自分に取り付かれ、現実の自分を浪費している。現実の自分を無視する。現実の自分を罵倒する。現実の自分に嫌になる。・・・弊害ばかりがあげられる。
僕らに必要なのは、今の自分を受け入れる勇気だ。
やはり人目が気になる社会なんだと思う。成功者が大きく取り上げられる、弱肉強食の世界。強者になろうとする中間層の苦悩が計り知れない。いくら自分を鼓舞して上へ上へもっていっても、それが崩れたときを考えると、それはまるでバブルのような考え方だと思わざるを得ない。
地に足のついた生き方、つまり、自分が好きなことをやる生き方をしたい。しばらくは興味本位で色々物事に接していき、学びたいことを学び、知りたいことを知りたい。
世の中のしがらみに縛られないように、いつも様々な視点からいろいろなことを考えて、楽しい人生を送りたいと思いました。
・・・うーん。あまりにも長い(^^;)
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