秋田に来ました。
初の夜行列車に乗って。
用意された浴衣(?)と布団と宮沢賢治の小説を手に寝ました。

その微妙な高まりをどこかに書き残しておこうと思いましたが、ここしか遠くから書き残せる場所がありませんでした。
地元では友人たちがてんやわんやしているからお前も来いと電話もあったりして。(物理的に無理です)
素敵なことが色々な場所で起こっていることを微笑みながらの更新です。

ずいぶんとご無沙汰してばかりで、やめるか続けるか決めようとも思うのですが、これが自分のペースなんだなとも開き直っています。
書きたい時に書く。かけないときにかかない。
意味のないことや、人が見てあまりよくないと思うことは書きたくないという虚栄心が災いするのです。
自分の言葉に自信が持てなくなる。
自分の言葉が無意味に思える。
伝わってるのか、伝えられるのか。
そんなくだらないことを延々と悩んで、そんな風に悩む自分も嫌で、いつもほったらかしにしています。

でも思うのです。

言葉は思考の切り抜きで、言葉を発することをやめるのは理解をされなくてもいいと心を閉ざすのではないかと。
言葉は自分を縁取るもので、自分以上のものは出てこないのだから仕方ないんじゃないかと。

だから、こうして何ヶ月も何年もかかっても筆を置けなかったりもします。
とはいえ、電子空間に漂わせる自らの欠片にどんな意味があるのか、電子空間にかかわろうとする時間に生命の欠片があるのだろうかということも嫌味ったらしく考えています。

実益と価値。

単純になりきれない固まった頭とプライドをどうにかしなくてはならないのです。

ということで身近な自己改革をいくつか。

・しょうがないといいつつ諦めないことをやめる。
・無理なことを3日続けてみて果たして不可能か。
・朝起き抜けに、「レッツビギン、とにかくなにかを始めよう」と大声で言う(効果てきめん・・・らしい)
・ずるい自分から自分は逃げない。

**********

彼女の実家のお墓に行ってきました。
会ったことのないおばあちゃんの前で、手を合わせて祈って。
ご冥福をお祈りすると共に、こうしてここにいるのも何かの縁ですね、と一言添えて。
そんな風に出会いの不思議をかみ締めて。

*********

接客は、「心」を売る仕事だと。
恋人や大切な人に対してするように、あなたが接せばいいと。
近い感覚として、同じ時間帯に何回も入っていると、だんだんとお客様の顔を覚えてくる。
同じ人が来れば自然と笑顔になる。
注文のホットコーヒー一つにも、ブラックなのかアメリカンなのかミルクは一つか砂糖が三つなのかなどとお客様のお好みがある。
それを一生懸命やっていると次第に理解していく。

「お顔を覚えしましたので次からは大丈夫です」

そんなことをおばさまにこの間言ってしまった。

でもそのお客様は、いつも二人連れで特別なコーヒーを二つ頼んで、一人はブラック、一人はミルクのみで二人がけの席の廊下側の真ん中に座って、ミルクのお客様が手前に座ってブラックのお客様が奥に座るんだ。

別にルールじゃない。
公式でもない。
でも決まりごとのようにそう座る。
それが心地いいようにそうする。

村上春樹の小説にでもなりそうな話じゃないかな。
(あ、吉本ばななだったかもしれないけど。)
そういうのを素敵だとすごい思う。
そういうことを、スムーズにサポートしてあげられたら、幸せのお手伝いをしているような、そんな素敵な気持ちになれると思う。
きっとそういうところが、接客業の醍醐味なんじゃないかって最近思う。

顔を何度もあわせれば人は自然と親しい気持ちを抱くのはそうだと思う。
でも求められるのはおそらくまったく知らない人に対する善意。
一回しかこないお客様にいかに満足していただくか。
それが難しいのだろう。
そのためか、心の教育をする、とバイト先で言われて戸惑いながらも、ずいぶんしっかりとした職場だと関心する。

「あなたは何のために生きているのですか?」

と、店長との個人ミーティングで聞かれるらしい。
(他にも二つ設問があったが)
答えは大方決まっていて、どうにかそれを形にした職業につければ、と思う。
そして、ある程度の余裕をどうしても欲してしまう。

知り合いの社会人を見たり、自分の将来を思うと、残業というのが悪に見えてくる。
働いている人の生活を奪うし、これから職に尽く人の意欲を奪うし、そして現実にもう一人の人を雇う雇用の空きを奪う。
残業をして、果たして社会全体としてあがっていくのか。
残業漬けの毎日のその先の未来はと考えてしまう。

時間があるときはお金が無い、お金があるときは時間が無い。
それは確かだけど、ほどほどが何事も一番だと思うんだけどね。

*********

最後にどうでもよくないどうでもいい話。

今日、おそらく今までで一番おいしいご飯を食べました。
角館にあるまん馬やというお店です。
本当に満足。
味もそうでしたが、9時であらかたしまるこの町の中で、11時まで開いてるは、ブリーチ(ジャンプ)が全巻おいてあるわで素敵でした。
ちょっと喫茶店ぽい定食屋。

ダイヤモンド

2003年6月16日
何回転んだっていいさ 擦り剥いた傷を ちゃんと見るんだ
深紅の血が輝いて「君は生きてる」と 教えてる
固いアスファルトの上に 雫になって落ちて
今まで どこをどうやって 歩いて来たのかを 教えてる

何回迷ったっていいさ 血の跡を辿り 戻ればいいさ
目標なんか 無くていいさ 気付けば 後から付いてくる
可能性という名の道が 幾つも伸びてるせいで
散々 迷いながら どこへでも行けるんだ

大事なモンは 幾つもあった
なんか 随分 減っちゃったけど

ひとつだけ ひとつだけ その腕で ギュッと抱えて離すな
血が叫び教えてる「君は生きてる」という言葉だけは

一体どれくらいの間 助けを呼ぶ声を 無視してんだ
その背中に貼り付いた 泣き声の主を 探すんだ
前ばかり見てるから なかなか気付かないんだ
置いて行かないでくれって 泣いて すがる様な SOS

聴いた事ある 懐かしい声
なんか随分 大切な声

ひとつずつ ひとつずつ 何かを落っことして ここまで来た
ひとつずつ 拾うタメ 道を引き返すのは 間違いじゃない

やっと会えた
君は誰だい?
あぁ そういえば
君は僕だ
大嫌いな
弱い僕を
ずっと前に
ここで置きざりにしたんだ

何回転んだっていいさ 何回迷ったっていいさ
大事なモンは 幾つも無いさ

後にも先にも ひとつだけ ひとつだけ
その腕で ギュッと 抱えて離すな
世の中に ひとつだけ かけがえのない 生きてる自分
弱い部分 強い部分 その実 両方が かけがえのない自分
誰よりも 何よりも それをまず ギュッと強く 抱きしめてくれ

上手に唄えなくていいさ いつか旅に出るその時は
迷わずこの唄を リュックに詰めて行ってくれ


by BUMP OF CHICKEN


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握りつぶせる過去だからこそ、声にならないコエだからこそ、大切に守ってあげなければならない時がある。
そこに自分がいたのだから。
そこで自分は生きたのだから。

認める強さ。
逃げない勇気。
許す優しさ。
悔やむ愚かさ。

俺はいつもココに居る。

逃げない強さを彼らにもらった。
これからやっとちゃんと生きていけそうだ。


一生この精神を掲げて生きていくよ。


不器用なヒトが好きだ。

おもひで。

2002年5月5日
普段は気にしていないのに。
普段思い出すことなんてないのに。

こうして穏かな気持ちで
優しい音楽に包まれていると

あの日
あの時
あの場所で

君が隣にいて
寄り添っていた時間を思い出す。


今僕が見えているのは
想い出の連続写真。

時に夕日の背景で
時に昼下がりの木漏れ日。

あわただしいときもあり
静かに幸せを感じているときもある。

それは外だったり、中だったり。
大好きな人々の集まる空間。

様々なことを感じ
様々なことに挑戦した。

出会えた人。
起こった出来事。

ひとつずつあげればきりが無い。




僕が感じることができるのは

いい日々だったと振り返る切ない気持ち。


ありがとう。
誰に言うわけでもないけれど
誰かに伝えなければおさまらない気持ち。


僕はあの時あそこにいれて本当によかったと思う。


さあ、
明日も頑張ろう。

合掌。

2002年1月20日
先程友人から電話があり、友人の祖父が亡くなられたそうです。
とても元気な方で、その悲報を聞いた瞬間胸がつまりました。

もう5年前にもなるでしょうか。
友人と共に、その友人の祖父の家まで遊びに行ったことがあります。
その時に大変お世話になり、それから年賀状での付き合いがありました。
まだ身内の死を経験していない為、死の意味をよく理解していません。
こうして1人の方がなくなられたことを思うとひどくやるせない思いにとらわれます。

1人の人が亡くなるということが、これほど厳かなもののはずなのに
人身事故や自殺、戦争での殺戮は続く。
このようなことは一体どうしておこるのだろうか。
この矛盾に真っ向から向かっていきたいと思います。
こうして、今幸せな立場ある人間が頑張らなくてどうするんだ。
考えられる人間が考えなくてどうするんだ。

少し心が引き締まったような感じがします。


ところで小泉総理は「痛みの伴う改革」を宣言し、日進月歩しています。
失業率は増え、なんとか定職にありつこうと公務員を目指すものが多くいます。

公務員。国または地方公共団体の職務を担当し、国民全体に奉仕する者。
そう定義されています。
果たして、幾人のものがこの定義に当てはまるものなのでしょうか。
自分の身の安定のためだけ、もしくは他に目標、目指すものがなくてなるという人もいると思うと、とても遺憾に思います。

確かにそういう一つの道もありますが、公務員が定職と言うことの理由が欠如しているように感じます。
公務員が定職なのは、国民全体に奉仕するという役柄上、様々な国民のニーズにこたえるべき役職だからです。

国民の様々な生活上の不満、不安。
よりよい生活環境を築いていくために存在する職業です。
しかし、時代とともに社会は激変し、ニーズもより複雑化し、対応に追われることでしょう。

公務員は、常に社会に目をむけ、国民に耳をむけ、日々の努力をしていかなければならないと思います。
そして、そこから得た情報を整理し、実現するために考えなければならない。そのためには、情報収集、情報整理、ニーズの抽出、対応すべきニーズの選択、実行方法の思考・・・などと、様々に考えるべきことがあります。
このように考えていくには、やはり時間が必要だと思われます。

そういう時間を作り出すために失業しないのではないでしょうか。身の安定を保障するのは、身の不安定な人、もの、ことなどを取り扱うからだと思うのです。
自分の身のことを省みず、何かに対して没頭できるための身の安定の保障だと思うのです。

身の安定の為に公務員になりたいと思う自分に自戒。

ちょっと堅い意見だけど。
更に仕事はあまり熱意を持たずに気楽にやるのがいいって聞きます。どうなんだろうね。

何もできないけれど

2002年1月18日
こうしてひとり静かな夜に

眠りにつく君を思いながら

明日のことを祈っています。


何がいいのかわからないけれど

結果がどう転ぶのかわからないけれど

明日と言う日がよき日でありますように。

間が空いてます。でも気にしないで下さい。
書きたくて書きたくて仕方ないときに書きますので。

最近、バッティングセンターに通い始めた。
昔、野球の選手になりたいと思っていた(当時の僕らの年代はほとんどそうだった気もするが)くらいには野球が好きだ。
ただ、子供の頃からソフトボールで慣らされていたため、軟式や硬式が怖かった。
更に、昔はバッティングセンターには「死球にはご注意ください」などと書かれていて
「まじかよ!」
と、軟式&硬式ボール慣れしていない僕はとても怖く、バッティングセンターに行くことはなかった。

この年になり、淡い夢も抱かなくなり、ほんの興味でバッティングセンターへ足を踏み入れるとちっちゃい子供も多くいたためか、恐怖を抱かなかった。

・・・バッティングセンターが面白い、と感じた瞬間である。

そうだ。そもそも、Mr.chidrenの「光の射すほうへ」で、「ひとりきり情熱を振り回すバッティングセンター」という歌詞が出てきたときから行きたいと思っていた。それもあるか。

それで。つくづく感じたのは、体力が落ちたなぁ、ということであります。

小学校の頃、僕はすごい太っていました。
特に小学校3年か4年の頃は、145cm,45kgという身体で、人より一回り大きかったのを覚えています。
中学校になって硬式テニス部に入って、毎日くそまじめに練習していました。

もともと身体を動かすのが好きだったし、兄がテニスをやっていて教わるのが楽しみだったし、仲のいい友達に誘われて入ったので友人関係でも上手くいってたし、そして何よりそこの部長(女)が超かっこよくて、本当に憧れの的でした。

僕の兄は3つ上で、中学校で言えば僕の大先輩にあたるわけで。なんかその部長さんが僕の兄を憧れの先輩として見てたらしく。あの時は「うわーまじかよ」と思いましたねー(笑)

でも、やっぱり憧れの先輩には変わりなく。地道にこつこつと基礎トレーニングからやってました。2、3年になったら、普通はトレーニングよりも球を打つ
事のほうをしたがるんですけど、僕は人の1.5倍くらい練習して、常にみんなより上にいようとしました。

そういうのが大好きなんです。こつこつ努力して、上に立つっていうのが。嫌みかな(苦笑)でもその努力のおかげで、体育祭とかでも、バスケ部とかと張り合える位の体力はありました。中学校の時は、どっちかというと、体育会系の人に近かった感じがします。

高校では学芸系に属していて、あまり運動をせず、大学に入って更に運動をしなくなったので、体力が落ちていることをすごく感じました。中学校の頃は、毎日最低3kmは走っていたのに、高校に入ってから忙しさにかまけて寝てばかり。ちょっとここいらで一念発起しようかと思っています。

僕はどちらかというと、完璧主義で。やるならとことんやりたい人。もし高校で運動系に入っていたら、自分の肉体の限界に挑戦していたと思う。
だけど、高校でぷっつりと切れてから、全く正反対の道へ行った。

いつも人を驚かせたいと思ってる。地道な努力をしているのも、すごい、の一言のため。人並みでいることを許さないプライド、みたいな。無理ならやらない、くらいの頑固者。

すごい極端なんだよね。我ながら。ちょっと最近は丸くなってきて、ぷっつりと切れたらまたそこから始めればいいじゃん、って思ってきた。だって、切れたらおしまい、だったら、何事につけてもチャンスは一度しかなくなっちゃう。

誰だって挫折はあるし、何も出来ないとき、辛いときがある。そうして途切れたときに、じゃぁいいや、って諦めるのもどうよ、って最近思い出した。放り投げるのは簡単なんだ。

頑張って続けていたことが途切れてしまい、放り投げるのは、現実を知って諦めることかもしれない。夢を諦めて、現実を直視することかもしれない。それはそれで大人なんだ。だけど。夢を捨てていくことで、現実を知って、大人なる。それもどうなんだ、と思った。

夢を追い続ける大人がいてもいいんじゃないか。
僕は、何事につけて、トップや突出を目指した。
それを僕の個性、人前で僕を表現する自己主張にしたかったのだ。自分というものを背伸びして、どこかのカテゴリーに当てはめたかった、といえば適切かもしれない。

まだこの年なら可能性はある。このまま努力し続ければ、成功できるはずだ。そう思ってきた。ただ、年をとり、だんだん様々なしがらみでその努力が途切れたとき、僕は自分の築いてきたものを放り投げた。

でも。今その放り投げたものが愛しく、また今度は自分なりにそれと付き合っていきたいと思った。例えば、今、地元のテニスクラブに入ろうかと画策中。

どこか高いところに基準を置いて、それに向かって猪突猛進もかまわない。しかし、それがくじけたとき。その勢いが失速したとき。人は少なからずの絶望感、いわゆる挫折を味わうに違いない。それは、立ち直るためには相当の力がいると思う。

あるべき自分に取り付かれ、現実の自分を浪費している。現実の自分を無視する。現実の自分を罵倒する。現実の自分に嫌になる。・・・弊害ばかりがあげられる。

僕らに必要なのは、今の自分を受け入れる勇気だ。
やはり人目が気になる社会なんだと思う。成功者が大きく取り上げられる、弱肉強食の世界。強者になろうとする中間層の苦悩が計り知れない。いくら自分を鼓舞して上へ上へもっていっても、それが崩れたときを考えると、それはまるでバブルのような考え方だと思わざるを得ない。

地に足のついた生き方、つまり、自分が好きなことをやる生き方をしたい。しばらくは興味本位で色々物事に接していき、学びたいことを学び、知りたいことを知りたい。

世の中のしがらみに縛られないように、いつも様々な視点からいろいろなことを考えて、楽しい人生を送りたいと思いました。

・・・うーん。あまりにも長い(^^;)

散髪した。

2001年12月20日
バイトしているときとかに
下向いて髪が垂れ下がってくるのがとっても嫌だったので散髪した。

短くしてバイトにいったら
バイト先の子に
「そっちの方がいいですよ」
といわれちょっと嬉しかった。

何気にかわいい子だったので余計に嬉しい。

でもなにを基準にかわいいと思ってるんだろう?
そう不思議に思ってその子のかわいさを考えたところ
「笑顔」だった。

最近あまり笑顔じゃないな
とちょっと反省。

バイト中にトイレに行き
鏡でスマイルを作ってみる。

自分の顔に自信がないが
笑ったときだけは、なぜかこの顔でもいいやと思えた。

バイト中、とにかく笑顔で楽しくやった。
そしたらなんかバイトが楽しかった。

う〜ん。やっぱ笑顔が一番だね(^^)

寒い寒い。

2001年12月17日
なんだか寒いのに弱くなってしまった。
くぅぅ。

家に帰ってきてもマフラーを平気でするように
なってしまった。

っていうかしていることを忘れるほどに
もう身体の一部となっている。


そういえば元中元高の某Mに
「お前は白くなって肥えた」
といわれた。

後輩のくせに生意気だ、と思った。
そう。あの元演劇部のMですよ、みなさん。

BGM:宇多田ヒカル「Wait&See〜リスク〜」

さえない日

2001年10月30日
さえない日は時間をいとしく
そして憎らしく思う

どんなときでも
同じように時は流れ
止まらないこの流れ

流されていくのか
流れていくのか

もっできるはず
という根拠のない科白は
無気力の僕の心を奮い立たせることはできない

目をつぶり
静かに一日の終わるのを悔やんでいく

kiroroの

2001年10月27日
best friendがすごくココロに響きます。

素直すぎる歌詞ってあんまりしっかりと聞かない。
「あぁ」
ってあまり読まないうちにわかった気になって。

でも。
ぼーっとしてるときって、そのままいろんなものが入ってくる。
こうして無心に音楽を楽しんでいる瞬間。
癒されてると感じる瞬間です。

夜のしじまに

2001年10月18日
自分がひどく
誰かに迷惑をかけているのではないかと
不安になることがある

どんなに
思いを研ぎ澄ませても
ぬぐうことのできない気持ち

この距離が
ひどくもどかしくて

この思いが
ひどくもどかしくて

高橋尚子選手

2001年9月30日
ドイツのベルリン大会(?)で優勝しました!!
しかも2’20"の大台を突破する世界最高記録で!
とっても感動しました(TwT)

丁度休日だったこともあって、生放送をTVで見てたんですけど、高橋選手はすごいかっこよかったです。

いろいろ言われたじゃないですか。
芸能人気取りしてる〜とか。
精神面でちょっとかわいそうなときとかあったんですけど
今回の走りは「1人のランナー」でした。

必死に歯を食いしばって走る彼女。
走る前のコメントのVTRでは頬が減量からこけていました。
マラソンにかける情熱を感じるとともに体の心配をしてしまいました。

あの細い体で42.195kmという長距離を走る。
どこかで足がもつれたり、折れてしまったり、転んでしまったり・・・。

そんな心配をする僕をよそにぐいぐいスピードを出す彼女。
1位にたって、2位と5分ちかく差をつけてからは、実況はもう世界記録のことをずっと扱っていた。

優勝と世界記録。
両方を同じ大会でとった人は84年のバルセロナからいないんだとか。

ドイツの様々な場所を潜り抜けていく彼女をずっとずっと見てきて。
最後のテープを切ったときにジーンとした。
涙がでてきそうだった。
感動するってまさにこういうことだと思った。

レースを振り返ると、やっぱこのひとは騒がれるだけの実力がある、って思った。
顔もいいし、性格もいいと思う。
度胸もある。あだ名もある。(違っ)
そして、なにより実力がある。

世界ではじめて
2’20"の大台を突破した女子。
その瞬間はあまりに素敵でした。

・・・走り終わった後、すぐに地元の新聞記者からレポートを笑顔で受ける辺り、そのすごさを感じました。(^^;

久しぶりやなぁ。

2001年9月23日
今日は母校(高校)の体育祭がありました。
僕は高校時代は応援団としてやっておりまして、後輩どもを見にいってまいりました。
午後2時から。(爆)
・・・
いやぁ、若い若い。
とっても懐かしいです。
なんか現役っていいなぁ(笑)
自分があの中でやっていたと思うとどうも今では恥ずかしくてできませんね。(笑)

しかし一番痛かったのは、セーラー服を着ていたとある男を、同学年の女子と間違えたこと。(爆)
(つまりFをAと間違えたのです--;;)

そして無意味に後輩に絡まれ、さらになぜか「スリット〜」「スリット〜」と突っこまれ、"先輩痛いっす〜"という称号までいただきました。・・・っていうか今気付いたよ・・。全く・・・!なんだよ〜!!>わかる人へ

まぁそれはいいとして。
たくさんの人に会えてなんだか懐かしかったです。
とっても嬉しかったです。

しかし・・・
現応援団公団は応援団の練習中に倒れたことがある。
実は練習の最中にも結構ばてるやつだった。
だから、僕は体育祭の本番が心配で(とくにその日は暑かったし)声をかけに行った。
時間は2時過ぎ。もう体育祭も佳境。疲れもピーク。
丁度そいつは技を切り終わった直後だった。


僕 「おい。お疲れ〜」
公団「あ、先輩。こんにちは。」
僕 「久しぶりだな。大丈夫か?」
公団「はい。それより先輩鬱病だって聞いたんですけど」
え?
・・・・・・・・・・・・核爆!!!!!!!!!!!!!


僕 「だ、だ、誰に?!」
公団「いえ。F先輩とか先輩方がみんな言ってましたよ」


ぶっっっっっっ!!!!!!!!!


僕 「はは、はは。ま、まぁそれはいいよ。大丈夫。ありがとう。それより頑張れよ!」
公団「は、はい。先輩も頑張ってください」


・・・ちょっと待ってください。
・・・本当にちょっと待ってください。


なんで技もきった直後の精神的にあっぷあっぷの彼に励まそうとして逆に励まされてるんですかっっっっ!!!!!!!


弱い、弱いよ・・・自分。(泣)


っていうか見てたのかよ!!!F!!!!
くそぅ。やられたぜ。。
元応援団のよしみで互いの生活は探るまいと必死になって見まいとしてたのに・・・。


くそぅ。牛乳ーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!(意味無し!!!)



色々あった夏休み。
ちょっと時期はずれの話題。
いや、むしろ見てる人の大半は受験生じゃないかっていう不安。(汗)
いや、別に大学生の夏が長くて鼻高々、とかそういう話しじゃなくてね。

夏休みにやったことと言えばバイト、ぐらいしか思いつかない。
そう。僕の長かった夏はバイトとともにあったといっても過言ではない。

そんな僕。


今日、とあることに気付いてしまった。


コンビ二って大抵(必ず?)有線が入るじゃないですか。それで。
僕は、知ってる人は知ってるんですけど
「反モーニング娘。シンドローム」の一員でして。
訳もなく彼女たちの曲を聴くと「あぁぁぁ・・!!」といってしまうのです。


そんな僕が。
この夏にブレイクした「モーニング娘。のpeace!!」
を今日のバイト中に聞いて。


「あぁ。夏が終わるなぁ」


としみじみと感じてしまい、和んでしまった!!!


「反モーニング娘。シンドローム」失格!!(涙)
・・・駄目です・・・。彼女たちのしぶとさにやられました。1日2、3回聞くとして、この夏バイトを30日は超えてやってるはずだから、おおよそこの曲を70回くらいは聞いてるわけで。

・・・そりゃ夏の思い出の曲になりますって・・・。


しかし、何かに負けた気がするのは何故・・・。

本日はお日柄もよく

2001年9月10日
と言う台詞は、台風の日に言って欲しい言葉ベストさーてぃーに入る言葉です。

はい!こんばんは。久しぶりに三食を作らずにちょっと元気な蒼天です。はい。父親が休みなもので、まかせっきりなのです。ふふふ。(あとで痛いめ見るのがみえみえ^^;;)

今日はバイトだったんですけど、ついにうちもおでんが始まりまして。いやぁ〜忙しいですねぇ。全く。新しいもの好きって言うか、マルチなコンビニにしてるって言うか、浅く広くがもっとーでバイト君には忙しすぎって言うか。それで750円は安すぎっていうか。(涙)

あ、でも某7・11などでいつも疑問に思ってた、「おでんはいつ洗われているのだろう?!」というのはうちは大丈夫のようです。うちは一日二回洗っているので(^^)

しかし、またやってしまいました。おでんでもミスを。


まだおでんが入って間もない頃。それはおでん専用の入れ物がなく、よく飯盒炊爨とかでつかう「カレーなどに使う入れ物」で代用して、さらにふた+専用のからしがない状態で売ってました。

客にも珍しいもの好きがいて、この時期なのに「おでんが欲しい」と言う人には、上記の条件でもいいですか?と聞いてから売ることになっている。

・・・二人できた女子高生に売っているときの話し。


客1「あ〜おでんだぁ。」
客2「あ〜ほんとだ〜。おいしそ〜♪」
僕 「いらっしゃいませ〜」
客1「おでんくださ〜い」
僕 「はい。おでんですね。申し訳ありませんがただいまふたのほうがないんですがよろしいですか?」
客1「・・・え??あ、はい」
僕 「はい。ありがとうございます。何になさいますか??」

〜受け皿とお玉を持つ。初めてのおでんなのでやるきまんまん!〜

客1「えっっとぉ〜・・・う〜ん・・・」

〜後ろに客が並ぶ〜

客1「あ。先にどうぞ」

〜後ろの客を先にやる〜

(なんだよ!!フェイントかよぉぉっっ!!!!!せっかくお玉と受け皿用意したのにぃぃ!!!)

〜なくなくお玉と受け皿を戻しレジをやる〜

僕 「はい。何になさいますか??」
客1「えっと〜、玉子と、大根とぉ・・・」
僕 「はい。玉子と大根と。」
客1「つみれをください」
僕 「はい。つみれですね」

(・・・・汗。や、やばい!つみれってどれだ?!)

〜おでんの四角く区切られた容器の中を必死に探す僕〜

(やばい!どれだ?!わかんないよぉぉ!!泣)

客1「(ぼそぼそと)・・・店員さん探してない??」
客2「(ぼそぼそと)うん。絶対探してる(笑)」


(・・・あなたたち聞こえてます!!!!!(;△;))


その後もくすくす笑い声が聞こえ、もうそれは必死です。全神経をつみれ探しに費やし、もはやこれ以上時間はかけられまいっっっっ!!!!(涙)と思ったところで一か八かのかけをしました。


これで・・・いい!!!


恥も外聞も掻き捨て、すべてを目の前の物体にかけました。


僕 「はい。」
客1「はい」

・・・何も言わない?!やったぁ!!せーふ。ふぅ。やれやれ。あ。これ言わなきゃ。


僕 「からしをお付けいたしますか??」
客1「あ、はい」

僕「ただいまからしが切れておりますので、こちらでよろしいですか??」

〜そういって、ハウス食品の一般家庭ご用足しのチューブのからしをとりだす〜

〜女子高生たち爆笑〜


客1「なにこれ〜!!!」
客2「あはははは!!!」

(いや、俺は悪くないぞ!!店長に言われたとおりの業務をこなしただけだ・・・!!!)

客2「じゃぁ私も下さ〜い」

どうやら「からしのおもしろっぷりが」気に入ってくれたらしく、隣の人も買ってくれた。そして去り際に聞こえた雑談中の一言。

客2「おもしろいねぇ〜。きっとこの店、おでんがはいりたてだったんだねぇ〜」


・・・ご名答。


三食を作るのはきついです。

朝起きる。ご飯作る。犬にえさを上げる。ネットをする。昼飯を作る。バイトに行く。買出しに行く。犬の散歩に行く。ご飯を作る。犬にえさをあげる。ネットをする。

これで一日がほとんど語れます。
かなりしんどいです。風邪引きました。でもバイトは休めません。母のパート代がない家庭収入では、少なくとも自分の定期代やそのたもろもろの諸経費は自分で稼がないといけません。

僕はこの数日間で多くのことを学びました。
もちろん、料理のこととかもありますが、最も意義のある学んだことは、親の介護についてです。

果たして、親が倒れたときに自分は介護するか否か。

これは、我が家でもかなり議論されていることで、親は「老人ホームに入れてよい」と言うことをいっています。しかし、以前はやはり忍びないと思う気持ちはありました。しかし、現実問題として自分が養っていくのは無理だと感じました。

親が倒れたら、三食は勿論のこと、その他の身の回りの世話をしなくてはいけません。そして、弱った親を見るときほど心がいたむことはありません。

体の疲労だけでなく、心労もかなりたまることがわかりました。そして、やはり必ず考えてしまうのは、自己犠牲の念です。

自分は何故、自分のやりたいことを犠牲にして、将来を棒に振って親の世話を見なくてはいけないのか、ということです。はっきり言って、今までお世話になったから、と言う理由だけでは理性を押さえ切れません。親に捧ぐ人生、それでは何故生まれてきたのか、といった疑問を抱いてしまうまでにいたります。

親が、「老人ホームに入ってもいい」といったのは、明らかに僕や兄を気遣っての台詞だと痛感しました。ひどい人間かもしれませんが、自分が大切なのです。

今の時代はいつ何があるか全くわかりません。皆さんも、一度「親を介護できるか否か」というのはかんがえていたほうが言いです。そして、兄弟が居るなら、遺産や家の相続、介護、色々話しておかないと、いざと言うときに困ると思います。親が倒れてからでは親の意思は聞けません。大事な話だと思います。

母親が

2001年9月4日
最近調子が悪くて特に足の痛みを訴えてた。
ずっと心配で「医者に行ったほうがいい」とさいさん言っていて、ついに今日検査に行った。

昼頃は僕は外に出てて、17時ごろ帰ってきて。母親のところに「どうだった??」と聞きに行ったら、母は寝ていた。

「どうだった??」


用意していた台詞を言う。そして母の口からは思いがけない台詞が。


「ヘルニアだって」


・・・ショックだった。なんか黄土病のような言葉の重みがあった(謎)それで、安静にしたほうがよい、と布団で寝ているようだった。

・・・いうまでもない。家事は僕がやらなくては。
いいようのない責任とプレッシャーがかかる。
しかし、今までお世話になってきて。親のすねをかじりっ放しだった僕に丁度いいのかもしれない。
今までいかに幸せな、たいそうなご身分の生活を送ってきただろう。両親に支えられたかりそめの生活。守られた生活。そろそろ脱出すべきなのかもしれない。・・・欧米じゃ18はもう大人っていうし。


今日の夕飯は父と僕とで作った。
まずご飯をとぐ。そして炊く。次にお湯を沸かしてブロッコリーとインゲンをゆでる。そして、野菜を切って野菜炒めを作る。今日使った野菜は、ピーマン、青梗(ちんげん)菜、にんじん、もやし、小松菜、レタス。しめじ。それに肉を足す。

まず最初にピーマンとにんじんを炒めた。しばらくして青梗菜、レタスを炒める。そして小松菜。しめじ。じゃんじゃん炒める。炒めているうちに、レタスがすぐに火がとおることに気付く。少しあせって肉を入れる。ちょっとしょうゆをエッセンスに。


じゃーじゃー


よしっ!!完成!!!そして皿を出して盛り付け・・・


もやし入れ忘れた〜!!!( ̄□ ̄;)
急げ急げ!いそいでもやしを炒める。途中(もうちょっと炒めようかなって思うくらいが丁度いいんだよね♪)とか鷹をくくっていた自分が憎らしくなる。


じゃーじゃー


・・・何とか成功。そして95円のめざしをやく。何分くらいだろう??適当に焼いてみよう!!


・・・撃沈。あ、もう焼けてるジャン!とか思ってひっくり返そうとしたら、見事に頭がもげて、魚のコンロの網の間にぼろぼろと身がおちていく〜!!(T_T)


母親「犬用だね♪」
父親「申し訳ないけど食べたくないなぁ」


・・・必至に拾い上げためざしは猫飯(ねこまんま)状態でした。・・・その他きゅうりなどを使った一品料理を作りました。


明日はカレーです。上手くできるといいなぁ。(もはや願望)

上を向かない店員

2001年9月3日
コンビ二の店員をやっているゆえか、最近とみに思うのですが。
「他店の店員の態度・店の品揃え・陳列方法」などを無意識でチェックしてるんです。

それで。コンビニの老舗の店である、7・11。これの地元の店に行ったんです。
そしたら、おでんがもう売ってて。そのとき店員は2人いて。1人がいそいそと仕込んでて、もう1人がレジで。牛すじでも買おうかなぁって思って、レジに行ったです。そしたら、前に2人くらいがすでに並んでて3人目になったわけです。そこで

ちらりと仕込みをやっている店員の顔を伺ったところやれやれ仕方ないなといった顔で「お待ちのお客様どうぞ〜」といわれまして。僕は店員がレジに向かったときから身構えてたんですぐに並びました。


「牛すじ一本下さい」
「少々お待ち下さい」


ー間ー


「・・・ただいま売り切れておるようなんですけれどもよろしいでしょうか」


!!!!!
は、早っっっっ!!!!!っていうか早いんですよ!!!この人!!!!
「fan car go」のCMは皆さん知ってると思うんですけど、僕はてっきりあれは普通の声で録音しておいて、早送りしてるやつを流してるんだと思ってたんです。
しかしその考えはもろくも崩れ去りました。なぜなら


目の前でその速度で話し掛けられてるからです


っていうか早いよアナタ(汗)
それで仕方ないからレジの近くにあるHOTのお茶を買ったら


「136円ですね〜」
「はい丁度お預かりします」
「はいありがとうございました〜」


決して上を向くことなく、低空飛行で最低限の自分の業務だけを果たす店員。
その作業スピードはベテラン以外の何者でもないのです。
この人には笑顔はないのでしょうか。それとも僕の顔を見たくないのでしょうか。自分の顔に何かついてるとか、自信がないとかなのでしょうか。
もしここがマックだったらスマイルを要求しているところです。

・・・しかし、僕が手を下すことなくその店員はミスをしました。
なぜなら、僕は家計簿をつけようとレシートはもらう派なんです。
それでレシートをもらおうと待ってたら


「あ、はい。領収書ですね」


そういって、僕が何も言うまもなく勝手に領収書を出して、はんこ押して、手渡されました。その途中も全く顔をあげることはありませんでした。


ちょっとは状況判断しようね。店員さん。


・・・決して僕はそうなるまいと心に強い決意をしたのだった。

どこに行く〜とか打ち合わせもしたり、ガイドブックを読んだり、色々と事前調査をした上。

朝の5:11発立川行きに乗って行きました。
(・・・まじで早過ぎだって(--;)

舞浜には7時ごろについて。雨のしとしと降る中開門を待ってました。途中、門の向こう側では、ミッキーなどがいて僕らを挑発したりして。そんなこんなで。


-開門!!-


開門と同時に溢れる人!!すごいんすよ。あのダッシュは!!!本当にめちゃめちゃすごい!!ディズニーランドに行く人の95%は再来の人だ、とは言われていますがすごいです。皆さんのopening dush!!僕らも走ります。目指す先は「プーさんのハニーハント」!!

一生懸命走ったおかげか15分待ちで乗れるようで。Fast Passをとるまでもありませんでした(^^)
それで初めていくハニーハント。どんなところか愉しみにしていって。そしていざ順番になって、「あーすご〜い!!」とか愉しんでいる途中!!!


しーん。


止まったぁぁぁ!!!そしてしばらくするとアナウンスが。

「ただいまプーさんのハニーハント内にいらっしゃるお客様にご連絡します。ただいま、安全装置が作動しております。ただいま復旧作業を行っておりますので、もうしばらくお待ちください」

これだけで、レアじゃないですか!!
だって、あ。あそこにプーさんがいる〜とかわかっちゃうんですよ!?あぁ。こういうつくりになってんだぁとか。それで。待つこと数分。またアナウンスが入る。

「現在プーさんのハニーハントにいらっしゃる方にご連絡します。安全装置作動のため、現在止まっております。ただいま係員が行きますので座ったままお待ちください」

え?ナニソレ。

しばらくして係員が来る。


「復旧に時間がかかるようですので、お客様には歩いて出口まで行っていただきます」


えぇぇぇ!!!心の中で思う!!

(それ。まじすか?!・・・おいしいじゃん!!爆)


というわけで、歩いて出口まで行きました!!もう愉快で愉快で。うきうき気分で出た僕に待っていたのは。


・・・人生でこれほどまで嫌なものがあろうか、という絶叫マシン。そのナも「スプラッシュマウンテン」

僕はそれに乗ることを考えるだけで夜は眠れなくなっていたほどでした。


そう。考えればちっちゃい頃から父親に肩車をしてもらうのをひどく嫌がっていたほどの高所恐怖症。今は亡き、サマーランドのミニジェットコースターで脂汗をかいたほどの怖がり。富士急の空中ブランコで笑顔がひきっつったほどのアトラクションの苦手さ。どこだかの空飛ぶじゅうたんが怖いからと、その怖いのを紛らわすため、G-shockで時間をはかっていたほどの気の利かない紛らわし方。北海道に遊びにいったときにのったのが怖くて笑いが止まんなかったのは有名な話。


数々の遍歴の持ち主でございます。(汗)
そんな僕ですから、スプラッシュマウンテンに乗る時間が近づくごとに口数が減ってきて、弱気になっていくのは想像に難くありません。もう、心臓ばくばくです。いくら


「男らしくない」


といわれても、「怖いものは怖いんですぅぅぅ!!!(泣)」

あれってかなり鈍行で、いきなりおちるじゃないですか。いやぁ〜ディズニ―ランドは夢と魔法の国であると同時に「人間心理学を上手く突いた国」であると思います。・・・めちゃめちゃ怖いんですってぇぇ!!!(叫び)


最大角度45°最高時速60Kmの坂。もうあれを下っているときはふっきれてました。なにか薬物を頂戴したような気分でした☆


それで乗り終わった後はもうぼろぼろ。
しかし休むまもなくジャングルクルーズ、カリブの海賊、It’s a small world、ビックサンダ―マウンテン...etc。結局3大マウンテンには「彼女の熱い要望で」乗らされました。(嫌だっつてんのにぃぃ〜)そして計15くらい(だっけ?)のアトラクションに乗り切りました。途中雨とか降って大変だったんですけど、ディズニーランドはすごいです。雨がやんだらすぐにモップ持ってきて水の排水処理をするんですよ!!すごい!!!開園から閉演までフルで頑張りました・・・。


でも途中のパレードとかすっごいきれいだったけどね〜(^^)ちゃんと買い物もしたし♪
楽しかったし。でももう一度行こう?といわれたら・・・あはははは。なんでこんなに日記が滞ってたっていったらもうねぇ??体調崩し〜のでしたからね〜(^^;;)


彼女は始発できて終電で帰ったそうです。お疲れ様でした!


(僕もそれに近かったけどね。帰りの電車に乗っているとき、もう登り電車がなくて「こちら拝○から先、乗り過ごしますと、戻れませんのでご注意ください」とかアナウンスが入ってめちゃくちゃ緊張して帰ったもの。家に帰るまでが遠足です。まじ実感しました。・・・誰がいい始めでしょうね??)

散髪。

2001年8月26日
今日は髪を切りに立川まで行きました。
安くてお気に入りの店があるのです。

時はPM5:00過ぎ。
もう床屋も閉まるっちゅう時間に電車に乗り込んで行きました。
ちょっと久しぶりの遠出(ぉぃ)
なんかうきうき。

立川につくと、なんかお祭りやってて。
みこしを道路のど真ん中でやってて。
ぽけーっと見てたら、交通警備員のおじさんが
「ほらほらっっ!!邪魔邪魔!!」
と忙しく棒を振っておりました。
はぁ。祭りかぁ。・・・夏も終わります。(関係ない)


床屋に行くと
「本日はどんな髪型になさいますか?」
と聞かれた。
「短くしてください」
と言う。

その後髪のカットが始まり、うつらうつらとし始めること数十分。
「こちらでどうでしょうか??」

鏡を見る。


(う。ちょっとやだぞ。)


店員さんの顔をちらりと見るが、もう終わったような雰囲気をかもし出しすぎ。
ここで「もうちょっと短くしてください」なんていえません。
「はい」
と言う自分。(いや、本当はやなんだけど)


終わるや否や、床屋を出て、急いで鏡のある店へ。トイレへ駆け込み、マイヘアーを手直ししました。

はぁ・・・。毎回こんなことやってます。(泣)一度でいいから
「いや。もうちょっと○○できませんか?」
とはっきりいえないだろうか・・・。髪を切るたびに買い換えるワックス代が無駄だ(泣)


家に帰ってくると、ご飯だった。
今日はチャーハン。なんだかいつもと違う雰囲気。
赤色の野菜が映える。
何か気になる僕。母親に聞く。

「母ぁ〜さ〜ん。この赤いの何??」
「え〜?」
「名前何てったっけ?ココリコ?タピオカ?」
「えっ?!・・・」

-間-

「・・・どうしたの??この赤いやつの名前何かって聞いてるんだけど。どうしたの?」


-しばし沈黙-


「・・・いや、ココリコなんていうから思い出せなくなっちゃって。」


おいおいおいおいおい!!!!!


それでいいのか!?母よっっ!!!!?
そんな俺の思いつきの名前に左右されるような名前だったっけ??!しかも「ココリコ」に惑わされるようなっっっっ?!!!もしかして俺って結構近いこと言ってた??!


-間-


「あっ!!思い出した!!パプリカだ!!!」


全然違うじゃん(泣)>俺


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